2019年8月26日(日)
5時10分に起床。朝陽には少し遅かった…すでに太陽はギラギラしていた。
ぐるりと病棟の窓際を歩いて、写真を撮った。
そういえば、病院の前にそびえる建設中のタワーマンション、なんていう物件名なのだろう?と、この日ふと知りたくなって検索してみた。シティタワーズ東京ベイ、という住友不動産の3棟建て、32階の高さがあることを知った。調べれば調べるほど素敵な物件だ。新橋や虎ノ門勤めにはぴったりな距離感の、理想的なロケーションかも!と思ったり。都心なんだけど、海がすぐそこで、しかもこの朝陽だよ…。この病院に通うにも近いしね♪
ずっと37度が続いていた体温が、今日は36.5度まで下がっていた。平熱はもともと低くて35度台が普通だったから、これでも高いほうだけど、37度に比べたらずいぶん身体が楽な気がする。
体重測定をします、と館内放送が入り、歩ける人はみんな体重計のあるところに集合した。学校みたいに一列に並んで、体重計に乗った。手術前よりも5キロくらい軽い。これしか食べてないんだから、もっと減っても良さそうなものだが…。
10時過ぎ、シャワーを浴びていたら、妹と母と次男のトリオと、今日は妹のダンナも来てくれた。日曜日だものねぇ。そして母とはここでサヨナラだ。これから午後の便で北海道に帰るのだ。
この1週間、みんなが毎日来てくれたから、楽しく乗り切れたと思う。このタイミングでがんになったことに感謝したい。
何より、がんになったのが、私で良かったと心から思う。
これが、母だったら?私が北海道に駆け付けることになるよね。その時、仕事はどうしよう。子どもたちのことはどうしよう?
仙台の夫ががんになったらどうだろう?やっぱり私は仙台に駆け付けるのか?働き盛りの大黒柱のがん入院は、いろいろな意味で大変だ。
そんな風に思うと、私が家族を代表して今回がんを引き受けた意味とか、私にがんができた意味とか、私に課せられた何かとか…きっと、あると思うのよ。
だから、私でよかったの。私だから、良かったんだ。
さて11時、ストーマのパウチ(袋)を付け替える練習の時が来た。これまで何度もビデオを見て、手順はばっちり把握しているつもり…なんだけど、看護師さんが見ている前で一人でやってみるのは、結構どきどきするし、出来るかなぁと子供みたいに不安になる。
とにかく、漏れないように、しっかりとストーマの周りに袋を貼り付けるのだ。それなりのテクニックが必要だ。
これを毎日繰り返し、最後は、卒業テストに合格すれば無事退院と相成るわけで。今日の私の様子から、希望の31日退院のセンで進めていただけるようだ。(退院日は、主治医はもちろんのこと、最終的には病棟の婦長さん:もとい、今は「師長」さんと呼ぶ…が決めるのだ。)
持ってきたタブレットで、LA LA LANDを見たり、図書スペースから借りてきた「コンビニ人間」を読んだり。少しずつ、そういう時間が出来てきた。
午後、会社の上司がお見舞いに来てくださった。とても仲の良い、女性の上司。何でも話せる、職場で一番身近な存在だ。手術のこと、これまでの経過、何がシンドイか、今後の働き方のこと…いろいろとお話した。職場ではほかに闘病中の先輩もいて、いろいろと大変そうだ。私も早く戦力になりたいけれど、この状況では。いつ、復活できるかなぁと思う。
上司は、とっても可愛い相棒を連れてきてくださった。今夜から一緒に眠るのだ。
上司を見送った後、今度は夫が一人で来てくれた。満月が美しい夜だったから、12階のテラスと、5階の庭を一緒に歩いた。私の入院はあと5日ほど続くけれど、明日からは平日だから、夫と次に会えるのは退院の日だね…なんて話をして。ここまで早かったね、って。夫の仕事も、8月はそこまで詰まっていなかったからこうして何度も来てくれたけど、9月はかなり慌ただしくなるみたい。今月の手術が実現したことは、夫の業務的にも、本当に良かったのだ。
夫とハグしてお別れし、部屋に戻り、そろそろ北海道の実家に着いたであろう母に電話した。するとショッキングなことが。藤沢に住む大叔父があと2~3週間の命だという。すい臓がんを患っていて、余命宣告を受けていたけれど、そんな急に!
私が退院して会いに行くまで、頑張っていて欲しいな…。まだお礼をちゃんと言えてないから。
そういえば、奥のベッドに新しい方が入られた。私にとっては初めての後輩にあたる患者さんだ。76歳で、結腸がんだそう。自覚症状はなく、別の持病の血液検査で貧血と出て、いろいろ調べたら大腸内視鏡でがんが見つかったんだそう。本当に、がんってものは。自分ではないと思っていても、身体の中に、あるんだねぇ…。