【カロリーナの詳しいプロフィール】
- 生い立ち~北海道の田舎町で、スチュワーデスに憧れて
- バイトに精を出した東京の女子大生時代
- バブル崩壊後の就職活動でUターン
- 札幌のテレビ局勤務時代
- 結婚、転職、そして初の産休育休女子社員に
- 夫の転勤でブラジルに7年間
- サンパウロでの出産、サルバドールでの子育て時代
- 日本に帰国してパート掛け持ち時代
- 12年ぶり!元職場にフルタイム再就職
- まさかの直腸がん発覚からの、がんサバイバーへ

1972年 北海道の田舎町に農家の長女として生まれる。本を読むことと、聖子ちゃんの歌が大好きな少女時代を過ごす。小学校は1学年1クラス18人、中学校は2クラス、高校は4クラスと倍々ゲームで同級生が増えて嬉しくなる。部活は、中学では長身を生かして女子バレー部に所属するもセンス皆無…それでもバレーは好きだったので、高校ではバレー部のマネージャーとして働く。勉強好きで、成績が上がるのが快感だった高校時代。将来の夢は、世界中を文字通り飛び回る華麗で知的なスチュワーデス!その道へ近づくためには東京の大学…となぜか思い込み、上京したい一心で受験勉強を頑張った。
1990年 念願の津田塾大学に合格。ひとり暮らしを始め、大学の授業よりバイトに精を出す。家庭教師からパーティコンパニオンまで、いくつもかけもちして働いた。卒論のテーマは「日本の歌謡曲とフランスのシャンソンの比較文化論」サザンやユーミンを研究した。
1994年 バブルが弾け、航空会社各社がキャビンアテンダント(この頃からスチュワーデスとは呼ばなくなりましたね…)の採用数を絞る中、全社撃沈…。就職は地元北海道にUターン。地方TV局にて報道部記者として6年間勤務する。担当は医療と教育。最も印象に残っている取材は、豊浜トンネル崩落事故の発生時ヘリ実況と、ひきこもりドキュメンタリーと、国内初の遺伝子治療。あの頃は若すぎて思うような仕事が出来なかったなぁ、と思う一方、記者経験で得たものはとても大きいと今となって強く思う。ブログなどの文章を気軽にすらすらと書けるのは、間違いなく記者経験のたまもの。
2000年 取材を通して知り合った横浜の男性と結婚。北海道と本州との遠距離結婚生活は長く続かず、TV局を辞め、東京の映像関連会社に転職。企業向け教育番組などの制作ディレクターとなる。2002年に長男を妊娠・出産し、会社では初の産休・育休取得社員となった。

2005年 夫のブラジル転勤が決まり、会社を辞め妊娠8か月でブラジル・サンパウロへ。人生初の専業主婦となる。次男はブラジル生まれの二重国籍となり、異国での新生児育児というなかなか刺激的な体験をする。2年後、国内異動でサルバドールへ。計7年間のブラジル生活中は子育て中心ながらも、日々の生活やブラジル情報をブログ「caolinが覗いたブラジル」、サンパウロの飲食店を食べ歩いた記録ブログ「サンパウロソトメシ倶楽部」を更新。縁あって、現地の旅行ガイドのようなこともさせていただいた。泉ピン子さんのアテンドは今でもいい思い出。

2012年 日本に帰国。ブラジルで身に着けたポルトガル語を活かし、通訳翻訳や日本語講師、ポルトガル語講師をフリーランスとして行う一方、ワインエキスパートの資格を取りワインバーのホールスタッフから不動産会社まで、異業種のパートをいくつも経験する。

2017年 子どもたちも大きくなったし、そろそろフルタイム勤務できるかも?と思い、元職場の先輩からの誘いに応じる形で正社員として再就職。ハードな満員電車の通勤が辛かったけど、久しぶりのオフィス勤務は新鮮で楽しい!
…そんな矢先、
2018年7月にまさかの直腸がんが発覚。ステージ1で切除可能な部位だったため、8月と11月に手術をし、がんサバイバーとなり、現在に至ります。