夏の入院日記(1回目の大腸がん切除手術編)

入院9日目:術後5日目 涙の数を数えた日&5日ぶりのシャワー♪

 

入院9日目 術後5日目 涙の数を数えた日&5日ぶりのシャワー♪

2018年8月25日(土)

 

8時に朝食が届く。毎日とても美味しいご飯でうれしい。

ただ、このところ、食後のお腹の張りが気になるから、泣く泣く腹5分目にとどめることにする。食べたものの流れが若干悪いのかなぁ、やはり手術した腸の動きは、まだまだ本調子でないのだなぁ。

 

この日も寝ながらいろいろと頭の中で考えていた。

そうだ、本、書こう!

電子書籍でいいから、本、出したいな。

でも、スマホやパソコンを使えないような、病院の中で手術待ちのご家族にも読んでもらいたいから、やっぱり紙の本のほうがいいな…。

とかとか。

 

今日に至るまでに流した涙の数とか。大きな涙は6回あったなぁ。

1回目は、コレットマーレの中華料理店で。大腸内視鏡検査が終わり、とりきれない腫瘍があって、たぶんこれは「がん」だって分かった時。築地、有明、五反田…と聞いて、これから私、どうなるの…私、がんなんだ…って。泣けるよね。

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2回目は、子どもたち二人と車で金沢のアウトレットに向かう車の中で。二人が小競り合いをしていて、あんたたち、ママがいなくなったら二人でちゃんとできるの??って怒って。もしもこの二人を残して死ぬことになったらと思うと、二人が心配で、やるせなくて。泣けるよね。

 

3回目。夏の葉加瀬太郎フェスで、思い出の槇原敬之の曲などを聞いて。隣にいる夫の顔を見ていると、ここに二人で来られた幸せをかみしめつつも、彼を残して死んだら、夫はこれからこういうフェスにも一人で来ることになるのか…と思うと。申し訳なくて、切なくて。ほろほろと泣けた。

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4回目は、お盆休みの実家で、両親への告知が迫るとき。本当のことを言う?言いたくない。でも言わなくちゃ。お父さんお母さんごめん…

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5回目は、手術室に入った時。家族とハグしてお別れして。もしかしたらこれでみんなと永遠のサヨナラかと思うと…。みんなの励ましもまた、泣けた。

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そして6回目。術後1日目の、ベッドから起き上がるだけでフラフラして、立って脂汗が流れた情けない日。こんな簡単なこともできなくなっちゃった自分が悲しくて、もう私はダメかもと思って泣いた。

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やっぱり結構泣いてるよね(笑)

自分は強いほうだと思っていたけれど、がんのパワーは、そんな私をもこんなに泣かせるものなのだな…。

 

それにしても、なんでこんな涙のことを、この日に思い出したのか。それは不明。気持ちの整理が必要だったのだろうか、無意識的に。

 

さてこの日の担当ナースは2年目の若くて可愛いMちゃん。働き方について語った。結婚して子供も欲しいけれど、10年目くらいのキャリアになると、仕事を抜けられない立場になるから、タイミングが難しい…と言っていた。しっかりと将来を見据えて働いている若い彼女を、心から応援したいと思った。働き方改革は、医療現場にこそ、とても必要。

 

9時15分ごろ、レントゲン室に呼ばれた。お隣に座っていた女性は、結腸と子宮を切除し、もう何年か生きられればいいから、QOLを大事に生きたいのよ…とお話してくれた。まだ70ちょっとか、とてもお若く見えるけれど、そんな風に思っていらっしゃるのね。

 

そして10時過ぎ、ついに、ついに!久しぶりのシャワータイムを迎えた。もう5日ぶりですよ…。さすがにね、気持ちいいー。あらためてお腹の傷を見ると、本当にびっくりするくらい小さい。腹腔鏡手術では、へその穴プラス、4つの穴をお腹に開けたけれど、ほんとにね、蚊に刺されたの?くらいの傷跡しかない。先生、上手だなあ。

 

髪も洗い、ドライヤーして、すっきりさっぱりしてお昼を食べた。少し横になっていたら妹が来て、それから間もなく母と次男もやってきた。夕方には、久しぶりに長男も来てくれて、仙台から夫も合流した。とても賑やかな土曜日!

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私はまだ痰が絡んでいて、声が大きく出せない。対照的に母の声は大きくて、なんだかちぐはぐな音量での会話だけれど、楽しい。そういえば北海道の母が来てもう1週間が経っていた。速いなぁ。これからの1週間もあっという間に過ぎるのだろうか。

 

みんなを見送って、1階から病棟に戻ろうとエレベータに乗ったら、ポルトガル語を話す患者さんと一緒になった。パウロさん(仮名)は20代で来日し、もう40年以上日本に住んでいて日本語ペラペラ。でも、ポルトガル語で話した。パウロさんの患者体験もすさまじくて、紆余曲折を経てこの病院にたどり着いたということだった。もうすぐ退院だそうで安心した。私もパウロさんも、ポルトガル語で話す非日常的な感覚を楽しんでいた。閉ざされた病院空間だけど、こういう出会いもあるから、なかなか面白いのだ。

 

夜は薬なしでぐっすり眠れた!トイレにも起きずに眠れた。

そのせいで、ストーマ袋には200cc近く、たっぷりたまっていたけれどね…

 

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