わたしは自分ががんになってみて、「死」を否が応でも身近に感じるようになったし、「死」に対する思いは、がんになる前と全然違う、と思います。
とはいえ、がんになる前には、自分が死ぬときのことを本気で考えたことはなかったから、その感情の比較はできないかな…。
さて、今日読み終えたこの小説『最後の医者は桜を見上げて君を想う』。
3人のタイプの違う医師が登場し、3人の患者さんの死に向き合うストーリーなんですが、
第一 章 とある 会社員 の 死
第二 章 とある 大学生 の 死
第三 章 とある 医者 の 死
という3章仕立て。もう、このタイトル読むだけで泣けますよね…。どの登場人物に感情移入しながら読むかと言うと、私の場合はもう完全に「患者さん側」の気持ちになってます。3人の患者さんは、それぞれ違う症状で命を終えてゆくのだけれど(そしてその中にはがん患者さんもいるわけだけど)、死を準備する気持ち、受け入れる気持ちがもう…痛いほどわかる…。
もしも自分が、手の施しようがない病・完治することがない病にかかったとして、考えてみて欲しい。
わずかな治る可能性にかけてみたい気持ちがある。でも治らなかったら?
治る確率は〇パーセント、そのわずかな数字にかけてみる?
その治療にはものすごく辛い副作用が伴うとする。受ける、受けない?
治療方針を決めなければならないのは、患者本人。
延命治療を受けるかどうかを決めるのは、患者本人。
その治療を受けたら、命が3か月伸びる、半年伸びる…として。
でもたった3か月だよ?半年だよ?
その間に奇跡が起きるかもしれない?
起きないかも知れない。
いろんなことを示されても、決めるのは自分。
酷だけど、そうするしかない。自分の身体、自分の命のことだもの。自分で決めないとねぇ。
医師だって、絶対こうするほうがいい!なんて確信が持てないときだってある。
だから、最終回答を委ねられるのは、患者の側だし、それは患者でなければならない。
だって、人に決められた最期と、自分が納得して決めた最後、どっちがいいですか?
自分が決めたほうが断然いいに決まってる。だって自分の人生だもの。
でもでも、難しいよ。何が正解かわからないし、きっと正解はないんだもの。
そんなことを、いくつものシーンで思いながら読み進めていきます…。
さて、登場する3人の医師のうち、
ひとりは「死神」と呼ばれ、完治する見込みのない患者には現実を伝え、最後を迎える準備を促したりする桐子医師。たとえばこんな風に、同僚の医師に言う。
「叶わない希望を目の前にぶらさげ続ける行為は酷ではないと言うのかい?」 「…… どうせ諦めるのなら、 早く諦めた方がいいんだ。 残り時間が少ないの なら、なおさらそうだよ。そうして充実した最期を迎えて欲しい」
もうひとり、福原医師は凄腕の外科医で、とにかく数パーセントの可能性でも信じて患者を治したい。でもそこには、患者の希望というより、医師としての「患者を救う」というプライドと責任感みたいなほうが強くて。
そしてもうひとりの音山医師は、その中間というか、判断に迷い、悩み、揺れ動いてしまう、とてもまっすぐで優しい正直な医師。優柔不断とも言えるかな。
3人の医師たちのそれぞれの気持ちも、わかる。それぞれに信念があってね、それをもって患者さんと向き合う。
そんな3人の葛藤が、最後の章でドラマチックに弾ける。医師として、患者としての本音がバチバチと行き交うから、本当にドキドキしながらページをめくった。
治療を受けない決断をした患者に、俺が治して見せる、奇跡を起こす!と息巻く医師。それに対して、こんなやりとりが繰り広げられる。
「もし 地獄の苦痛に耐えても…… 奇跡が来なかったら。君はどうしてくれるんだ? 君が僕に何をしてくれるって言うんだ?」
「俺は、背負う」
「背負う、だって?」
「そうだ。 奇跡を信じて、それでも叶わなかった患者たちの想いを、俺はずっと背負い 続ける覚悟だ」
「君が背負った気になるのは自由だよ。でも…… 君は結局生き残るじゃない か。 一緒 に死んでくれる わけじゃないだろう?」
(二宮敦人. 最後の医者は桜を見上げて君を想う (TO文庫) (Kindle の位置No.3712-3716). TOブックス. Kindle 版. )
医師の言い分もわかるけど、自分の命を自分で決めた患者の強い思いのほうが、私には響くなぁ。これだけ自信たっぷりな医師にこれだけ言われてもなお、死に向かうことへの強い決断を揺らがせない患者。強いなぁ。私だったらここまで強くなれるかなぁ…
などなど。
あまり書くとネタバレになるのでこのくらいにしますが、
生き物である限り必ずだれにでも訪れる「死」の在り方を自然と考えさせられる、素晴らしい小説であることは間違いありません。
わたしは特に、登場人物の気持ちにリアルに入り込めてしまうから、なんとも複雑な気持ちで読んだわけですが…
特に、患者を取り巻く家族や友達の気持ちの描写がね。悲しくて切なくて泣けてしまうのですが。
それでも。
普通に暮らしていると、
特に、身近に生死をさまようような人がいなかったりすると、
なかなか自分で自分の「死に方」を想像することはないかも知れない。
でも、すごく大事なことなんですよね。死ぬことを考えることって。だってそれは、逆に言うと、生きている今をどれだけ大切にありがたく過ごすかってことだから。
誰もが必ず、死に向かって日々、生きている。ほんとうは誰もがカウントダウンしているんだよね。死までの距離は、ひとによって違うけれども。
こういう小説を読むことで、普段動かさない感情を動かし、普段考えないことを自分事として考えることはとても大事。小説はいつも、いいきっかけを与えてくれます。
小説の中に、名言をいくつか見つけました。
【命の価値はその『 長 さ』ではなく『 使い方』にある】
二宮敦人. 最後の医者は桜を見上げて君を想う (TO文庫) (Kindle の位置No.3300). TOブックス. Kindle 版.
でも、
【「病気になった当人の意思に関係 なく、 周りの人間としては…… やはり、 命 の『 長 さ』 の 方 に 価値 を 置い て しまう。】ことも事実。
二宮敦人. 最後の医者は桜を見上げて君を想う (TO文庫) (Kindle の位置No.3305-3306). TOブックス. Kindle 版.
だけど一番大事なのは、ここだと思うの。
【「必ず 訪れる 死 の 前 では、 全て の 医療 は 時間 稼ぎ だ よ、 福原。 だっ たら、 せめて 患者 の 望み を 叶えよ う」】
二宮敦人. 最後の医者は桜を見上げて君を想う (TO文庫) (Kindle の位置No.3679-3680). TOブックス. Kindle 版.
医療で大事なことは、ここだと思うんです。
病院の都合でも、医師の都合でもなく、家族の都合でもなく、患者の望みを叶えて欲しいと私も思うんです。病に立ち向かっているのは、患者なのです。患者の命も、患者のもの。
だから患者としては、自分がどう生きたいか、どう死を迎えたいか…つまり「患者の望み」をしっかりと持っていたい。
病気に流されて、ボーっと生きてるわけにはいかないんです!
死を考えることは、どう生きるかを考えること。だから、死を思うことを避けないで、もっと自分と向き合いたい。
そんな風に思います。